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GODDESS

2019年
08月26日

54回全日本選手権大会終了(茅ケ崎支部団体優勝)

54回全日本選手権大会終了(茅ケ崎支部団体優勝)

8月19日から四国生見で開催された
第54回全日本選手権大会が8月25日終了しました。
  茅ケ崎支部 団体優勝
前半は雨が降ったり雷で中断されたり
波が小さく非常に過酷な大会でした。
昨日予備日は波も上がって来て
素晴らしい演技を見ることが出来ました。
 ロングマスター クラスで TeamRaiderの 柳沢裕次 選手が優勝
私はロイアルクラス 予選2位でクリアし ファイナルの結果は4位でした。
大会は前半の消化不良が影響が影響し24日の予定が終了できなくて
予備日の25日に繰り越す事に成り大変な事に成りました。
仕事の関係で試合をキャンセルして帰る選手
飛行機の早割でチケットを購入した選手は更に帰路のチケットを買わなけらば成らなく成り
費用負担が掛かります。
宿の手配や、レンタカーを使って居る選手は延長の連絡したり
残った選手はその対応に苦心して居ました。
 唯何かあった時の予備日で運営サイドに不備が有った事には成りません。
波はA,Bポイントは比較的質の良い波で
Cポイントだけが余り良いコンデションでは有りませんでした。
唯、消化する為には敢えて、Cポイントを使わざるを得なくて
カフナクラス 8ヒートの予選
ロイアル2ヒートの予選、決勝はCポイントで決行されました。
カフナクラスは25日昨日でしたのでBポイントの良い波で実施されました。
 私はと言うと予選もギリギリ何とか通過する事が出来ましたが
ファイナルはエリアの真ん中にポジションを取ったのが裏目に出て
波が厚く成り上手く波をキャッチ出来ず完全燃焼することなく
終了のフォーンを聞く事に成ってしまいました。
優勝した地元の選手は予選もヒートが一緒で、波を知り尽くしていて
右の手前の割れるポジションを一人でキープして居て
ショートで高得点を出していました。
異なる場所での大会は波のセレクトが最も重要で
其れを外した自分のミスで招いた結果で
何十年サーフィンして居ても何も行かされていない自分の反省材料です。
凄く思い知らされた結果で勉強が足りない事を痛感しました。
 僕の夏は之で終わりました。
又来年に向かってもっと慎重に努力して行かなけらば成らないと思います。
 24日表彰式が小雨の中終了したのが5時30分
着替えて車をスタートさせたのがちょうど6時
茅ケ崎には昨日の朝7時45分に着きました。
途中食事をしたり睡魔に襲われて2回ほど仮眠を取り
合計13時間かかりました。
四国は遠いです。
 店も既に開いて居たので大会の報告をしそのまま勤務
昼を食べて其の後パークに入りました。
波は徐々に上がって来ていて、四国は無いのに なんで茅ケ崎が?
と不思議な感じを受けました。
凄い人で中々いい波は拾えなくて
それでも4~5本アウトから乗れて
こんな波で大会に臨みたかったなー と思いが走りました。
 尚今回の全日本から 新たにパイオリテイルールが適応されたので
限られた時間の中で自分の乗れる順番が回って来るのが少ないので
これに対応する訓練をして行かないと
今迄の様に自由に波に乗れる訳では無いので戸惑ってしまって
波に乗れず力を発揮できない。と言うケースも出てきてしまう。
ジャッジスタンドへ常に目をやって確認をしなければ成りません。
未だこのシステムに慣れて居なくて結構妨害が多かったように思います。
 茅ケ崎支部の結果はかなり良かったように思います
詳しくは良く調べて語法く致します。
今年も何とかお立ち台に登れて、
6月に左目の手術をし1週間入院しました。
その後2か月は海に入れることが出来ず、練習をスタートしたのも大分遅れました。
眼の方も思う様には回復して居なくて
必死でもがく様に練習し中々思うように今迄のサーフィンが出来ず悩みました。
それでも全日本を目標に板も新調し試合に取り組みました。
短い時間でしたが家族に支えられ会社のスタッフにも応援されて
マダマダ不完全でしたが全日本へ向かいました。
優勝した方は私と丁度10歳下です。地元推薦の素晴らしい選手です。
ロイアルクラスと言っても皆長い経験者でそんなに甘くは有りません。
千葉の岡野、鎌倉の岡、常連の良きライバルですが来ていません。
夫々事情が有っての事でしょうが
怪我をしたり、体調が悪かったりで1年は決して平穏では有りません。
そんな中で自分が4位の結果で高い場所に立てた時に
思わず色々な事がよぎって眼がしらが熱く成りました。
色々な人に支えられて今自分が此処に居られることへの
感謝の気持ちでいっぱいです。
 何年か前のこの場所は弟の捷吾が 病に侵されていて
それでも息子の克己のサーフィンが見たい。と言って来た場所です。
ほゞ食べ物が思うように食べられない状況で来ました。
帰りは後ろの布団に横たわっての強行軍でした。
帰って直ぐに入院しその数か月他界しました。
 帰りの車も一人で走って居るので
色々な事が脳裏によみがえり涙が止まりませんでした。
この時は僕が優勝し孫娘がレデイスロングで3位入賞しました。
 捷吾氏は 良かった良かった。と言って居ました。
炎天下 既に体力が無いのに 之が克己のサーフィン見るのが最後だなー 
と言ってビーチに座って観戦して居た姿が忘れられません。
人の一生は分からないですね。
自分より三つ下の弟が先に旅立つなんて、絶対に有ってはいけない事です。
自分が生かされているだけで大きな感謝です。
全日本は僕に取って最大の目標です。
今後も精進し努力を惜しみません。
自分のサーフィン人生の中で最も多くの思い出が詰まっているからです。
 又来年 頑張ります。