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GODDESS

2021年
12月28日

1年を振り返り

1年を振り返り

今日は暮れの28日
殆どの会社は
今日が仕事納めですね。
皆さん
夫々1年の大きな出来事は
何だったんでしょうか?
 世界中がコロナに翻弄さてて来ました。
今も続いて居ます。
 その中で自分に取って
最も思い出に残るイベントは
矢張り
全日本選手権大会です。
昨年は愛知県での開催が中止になり
今年も再度愛知県でしたが
8月緊急事態宣言が出て
急遽福島に変更に成りました。
其処でも日程的に延期になり
過去前例がない10月に開催されました。
 北泉の波は厳しく
板が何本も折れたり
救助される選手が出たり
 其れでも終わって見れば
ナント茅ケ崎支部が
  総合優勝です。
凄いと思います。
こんな小さなエリアで
しかも波の立つ確率の低い茅ケ崎が
2年連続での総合優勝
あり得ないぐらいの快挙です。
 優勝祝賀会で
若い選手と一緒に
こんなおっさんが一緒に
写真に並べるナンて
本当に一生涯の想い出です。
 79歳最年長に成りました。
表彰台に登れることは毎年
自分に取っての目標です。
こんな嬉しい事は有りません。
 全日本に出場する事は
其処には選手それぞれの人生が掛かって居ます。
健康で体調が万全であることは当然ですが
日常の全てが其処に凝縮されています。
 思う存分戦えると言う事は
家族の支え
勤務先のご厚意
応援してくれる仲間
所属する支部の応援
周りの多くが全て関わって来ます。
 人間それぞれ打ち込む事は
  違って居ても
其れに向かって努力し
切磋琢磨する事は一緒です。
 之が鈴木正の
原動力に成って居る事は確かです。
僕は年齢的に
真冬の寒さには流石に付いて行けません。
 その分
山でスノーボードでトレイニングして居ます。
足腰、腿 に掛かる負担は
サーフィンよりもっと負荷が大きいです。
30年以上続けているので
後ろ足の腿の方が太くなって変形して居ます。
ゲレンデにも寄りますが
スノーボードは全長で1キロぐらいは
一気に滑る事はざらです。
少し後傾に成るので
後ろ足に負担が掛かる事に成ります。
 スノボーの事はさておいて
今年の自分に取っての
最も貴重な体験は
全日本で表彰台に
登れた事です。
 来年の全日本は
宮崎の木崎浜に決まりました。
木崎浜は昔大失敗をして
一回戦で敗れました。
忘れもしません。
 優勝は地元の三俣元プロ
 2位が大阪の三口
 3位が福岡の水上
 4位が東京の岡野
波はめちゃくちゃ良い波で
左の川に近いエリアでした。
 失敗の理由は
気温が低かったので
その時用にショートジョーンを
急遽来て出場しました。
サーファーなら分かりますよね
 ラバーの新品だったため
気が動転して居たんでしょうね。
新品のウエットの表面は
離型剤のシリコンが付いて居るので
砂でこすらないとツルツルして滑って
パドリングが思う様に出来ません。
 それを忘れてゼッケンをつけて
海に入ったので、全然パドリングが思うように出来ず
結局、テイクオフもままならず
1っ回戦で敗退しました。
 其れも今と成れば
 貴重な記憶です。
又、次の宮崎お倉が浜の全日本は
台風で右側の堤防からアウトに出すぎて
デカい波を食らって
スープ乗りしか出来ずに負けました。
堤防の内側でやればよかったのに。です。
 負ける場合は
夫々理由は有ります。
その時は必至で周りが分からないからです。
 其れが試合です。
何十年やって来ても
僅か15分の中で結果を出す事は
それ位難しいと言う事です。
 人生も同じだと思います。
全く同じと言う事は無いかもしれません。
しかし失敗を人間はしてしまうんですね。
 ですから自分に取っての
全日本は少し違うニュアンスかも知れません。
1年の目標を
この全日本選手権大会に
向けて居る事で
 サーフィンに対する思い入れ
日常の体調コントロール
此処何年かは 体重を72キロにキープして居ます。
普段アルコールは飲みません。
食事の量もコントロールして居ます。
 ほぼ修行僧の様です。
其れを可能にして呉れて居るのが
 全日本です。
毎年8月の全日本が終わると
自分に取っての夏は終わりです。
 冬が過ぎて4月~
又全日本へ向けて
トレーニングが始まります。
毎年このスタイルは変わりません。
 勿論真冬でもサーフィンしない事は
 有りません。
天気が良くて
風も無く
温かい日差しを浴びて
 と言うコンデションを選びます。
此れが自分に取っての
日常です。
 来年も良い想い出を
沢山作りましょう。
皆さん良いお年を。
来年は寅年
何か迫力のある
歳にしたいものですね。